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2022.03.14
統合された人生に関する哲学「バガヴァッド・ギーター」②

「バガヴァッド・ギーター マハリシマ・ヘーシュ・ヨーギーによる新訳と注釈 第一章~第六章」(マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー著、マハリシ出版)より、複数回に分けて引用してご紹介しています。
前回の内容はこちらをご覧ください。今回はこの続きをお届けします。
統合された人生に関する哲学「バガヴァッド・ギーター」① | 超越瞑想(TM)福岡センター (tm-kyushu.co.jp)
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この教えも次第に忘れ去られ、二千年後には、「存在」が絶対的な真実であり、創造世界すべての源、基盤であるという原理さえも、人生の相対的な面だけを賛美する誤った考え方によって、覆い隠されてしまうようになりました。このように英知が失われてしまう原因は、主クリシュナも述べているように「長い時の流れ」にあるのです。
主クリシュナが復活させた統合された人生についての哲学が見失われると、人生が提供するものはすべて実存の表面レベルにある、という考え方が優勢になりました。そして、内側深くに潜んでいるものについては、求めることすら無駄であると思われるようになってしまったのです。このような表面的な見方が社会を支配するようになった結果、真実への洞察は見失われ、正しい価値観も忘れ去られて、人生の安定性が破壊されてしまいました。そして、緊張、混乱、迷信、不幸、恐怖などがはびこるようになったのです。
仏陀は、このような状況を正すために現れました。行動の領域がゆがめられているのを見て、仏陀は正しい行動に関する教えを説きました。「存在」、すなわち永遠の自由(ニルヴァーナ)に立脚した意識レベルから、仏陀は、自由のの境地に確立された行動の哲学を教えました。「存在」に直接接触することによって想念の領域を浄化し、社会における正しい行動のあり方をもたらすために、仏陀は人々に瞑想をすすめました。
仏陀の教えは完全なものでした。なぜなら、仏陀が復活した教えの中には、「存在」、思考、そして行動の領域がすべて含まれていたからです。しかし、仏陀の後継者たちが、超越瞑想の実践によって、人生におけるこれらの異なる領域を体系的に関連付ける、ということを怠ったために、「存在」の実現が正しい人生の基盤である、ということが次第に不明瞭になってきました。
つづく
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