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2019.08.19

本質を知る

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TM(超越瞑想)を体験すると、一部の方はそのシンプルさ、簡単さに驚きます。「難しいことをさせられなくてよかった」とホッとする方もいます。

そして、TM を終えた後、疲れが取れて楽になっている自分、リラックスして落ち着いている自分、スッキリしている自分に気がつくと、また驚いたりします。「瞑想がこんなに簡単にできていいのだろうか・・・」と。

TMのやり方はとても単純です。楽に、快適に取り組むことができ、まったく無理がなく自然です。しかし、多くの方にとって「瞑想が自然にできる」というのは理解しがたいことかもしれません。普通、「瞑想=簡単にできるもの」とは思われていませんから、当然です。

TMという瞑想では何かをしようと努める必要がありません。一定の状態(集中や姿勢)を保つ必要もありません。「何か特別なことをした」という感覚もなく、瞑想ができてしまいます。自然にできるのです。そして、TMを習ったばかりの方も、TM中には自分の内側深くを体験し、その効果を日常生活の中で味わい始めます。

例えば、充足感や幸福感、心の落ち着き、安定感が増します。身体が強くなり、健康的になります。感情が安定し、思考は明晰に、判断は的確になります。効率的、効果的に行動でき、物事が円滑に進むようになります。そして、TMが無理のない自然な方法であるのと同様に、私たちの振る舞いにも無理がなくなり、自分らしく自然にしていられるようになります。気がつくと、人との関係も円満になっています。いつの間にか、すべてが快適に整っているのです。

簡単に、誰でもできる瞑想で、よりよい自分になれる。物事がうまくいくようになる。よりよい生き方ができる・・・。

ここで疑問が湧いてきます。そんなうまい話を受け入れてよいのだろうか?と。人生、そんな楽をしていてよいのでしょうか?努力や苦労が人を成長させるのではないでしょうか?努力を重ね、時には苦しいことにも耐えてこそ、本当に価値あるものを獲得できるのではないでしょうか?

この疑問をマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーははっきりと否定します。「人生には苦しみが必要である、とは生き方を知らない人たちが言った言葉だ」と彼は言います。また、「有能で価値ある人になるためには苦労をしなければならない、という考えは時代遅れ」とも述べています。人生における苦しみを「必要のないもの」と、すべて否定しているのです。

その理由は次のようなものです。

人の本質は「至福」です。私たちの心の本質は「至福」であり、誰もが自分の内に巨大な幸福、無限の幸福、最大の幸福を持っています。そんな私たちですから、常に幸せでいるのが当然であり、また自然です。

「至福」を生きていないとき、私たちは自分の本質を見失っています。自分が何者であるのかを忘れてしまっています。このように自分を生きていないときには、緊張や不安が高まり、苦しくなります。どんなことにも心が満たされず、内側に欲求不満が増すばかりです。

この状況を打開するのは簡単です。瞑想という手段を用いて自分の内側へ行けば、そこには無限の幸福があるからです。それが私たちの本質です。それを体験すると、心はすっかり満たされ、欲求不満は消えていきます。(そしてTMという瞑想は大変簡単な方法です!)

この無限の幸福の領域は、私たちのすべての資質と能力の源でもあります。潜在能力のすべてがここにあります。瞑想によって私たちは自分の内深くへと到り、そこにある善いものすべて、―大きな幸福とよい資質、あらゆる能力― を実生活の中に引き出します。そしてそれを活動の中で活用し始めるのです。

簡単な方法で人格を磨き、能力を高め、自分を成長させることができます。私たちが自分の本質を生きるとき、そこには苦しみは存在しません。ただ幸せがあるばかりです。私たちは常にそのように生きるべきであり、それが正しい生き方なのです。

マハリシ総合教育研究所 平松直子

単なるリラックスではない超越瞑想の体験

超越瞑想と聖マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー