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2019.05.28

単なるリラックスではない超越瞑想の体験

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深い安らぎと大きな目覚め

TM(超越瞑想)で私たちが体験するのは、深い安らぎ、リラックスです。

TM中のリラックスした状態は、あれやこれやと忙しく考えるのを止めて、単にぼーっとしているときの状態とは違います。

考え事を止めてただぼーっとしていると、確かに頭が休まり少し落ち着く感じがします。

思考が減って心が休まっているのでは?瞑想と近いのでは?と思う方も中にはいらっしゃるかもしれません。

しかし同じではありません。

何が違うのでしょうか?

TM中の休息の特徴は「はっきりとした目覚め」「明晰さ」を伴うという点です。ぼーっとしているときのような鈍さは、ほんのひとかけらもありません。

もちろん休息の深さも比較になりません。

この休息状態では、注意力が研ぎ澄まされ非常に鋭敏になっています。はっきりと目覚めており、覚醒しています。それでいて深く安らいでリラックスしている、という独特の体験です。

この体験は自分自身の内側に入っていくことでのみ得られます。

心地よくぼーっとすることとTM(超越瞑想)を実践すること。この二つは明らかに異なる体験なのです。

瞑想によって自分の内側へと深く進めば進むほど、心は静かになり、同時にますます明晰さを増します。奥深くに至ると心は静まりかえり、はっきりと覚醒します。深い静けさと完全な目覚めがそこにあります。

もちろん今現在も私たちは覚醒しています。半分眠りかけていたりはしませんし、頭もはっきりしています。

ところが、この「眠っていない、起きている。頭はちゃんと働いている」という「目覚め」をはるかにしのぐ、もっとはっきりとした完全な目覚めが、私たち自身の内にあるのです。そしてそれは深い安らぎでもあります。

TMとは、この状態に意識的にアクセスするための方法なのです。

この「深くリラックスしており、なおかつはっきりと目覚めた明晰な状態」は、実りある人生を生きるには必要不可欠です。なぜなら、このような心こそが大きな潜在力を発揮するからです。

成功や達成を望むなら、私たちは緊張や硬さから解放されていなくてはなりません。落ち着いてリラックスしていることが必要です。そして頭は、心は、常に明晰でなければならないのです。

「いつもの心」を変えるTMの習慣

十分にリラックスしており、同時に非常に明晰な状態。

普段の自分をこの状態に持っていくことは、意図して簡単にできることではありません。

普通はリラックスしようとすると、注意力は緩み、鈍くなります。鋭敏さ、明晰さを欠いてしまいます。また、心を(頭を)はっきりさせておこうとすると、どうしてもいくらかは緊張が加わります。深く安らいでいることはできません。

深くリラックスし、同時にはっきりとした目覚め、明晰さを保つ-。

瞑想中だけでなく日常的にこの状態が自然に持続するよう心を養うのが、TMです。瞑想していないときの「いつもの心」が、常に自然にこの状態であるようにするのです。

ここでは「自然に」というのが重要です。自分をコントロールしてこの状態に持っていくのではないのです。コントロールも意図も努力も要りません。ただ毎日TMを行うだけです。

瞑想が終わった後、何か活動的なことをしているときや、現実の様々な状況にさらされているときにも、私たちは落ち着きを保ちリラックスしていられるようになります。明晰さをなくすこともありません。

私たちがこのような状態でいるときには、どんな状況にも適確に対処できます。日常の様々な出来事をもっとうまく扱えます。自分の望みをより多く実現できるようにもなっていくはずです。

瞑想の習慣によって、私たちは、現実生活の荒波に翻弄されるだけの頼りない存在ではなくなります。

日々の生活が躍動的になり、生き生きとしてくるでしょう。充実感が増してくるでしょう。

TM(超越瞑想)は手軽にできるリラクセーションのための一つの方法です。しかし、日々実践を続けることで人生を通じて得るものは、単なるリラックスどころではないのです。

マハリシ総合教育研究所 平松直子

『世界のセレブが夢中になる究極の瞑想』

動と静―生命の二つの面を生きる